僕たちは物事に意味を求めるよね。
言葉を使っている以上、
僕たちの思考や感覚には
意味が必ず含まれている。
例えば、リンゴを見る。
見た瞬間に「リンゴ」と
意味づけされて、
甘い、シャリシャリした
香ばしい、、、
といった意味を付与する。
そして、食べたいなぁとか
おいしそうだなぁとか
反応をする。
例えば、のどが痛かったとする。
のどに刺激を感じる。
その刺激に「痛い」という
意味をつける。
「痛い」と嫌な気持ちの
反応をする。
風邪かなぁ、と不安になる。
分かるかな?
僕たちは、刺激そのものじゃなくて
意味づけに反応しているんだよね。
リンゴの見た目、のどの刺激、
これは、ただの五感の刺激に過ぎない。
ここに、
「リンゴだ」とか「痛い」とか
言語情報を付与することで
意味を与えている。
そして、大事なのが、
この意味(リンゴ、痛み)に対して
僕たちは反応(食べたい、いやな気分)
をしているんだね。
だからね、試してみると面白いのが、
時に、言葉を手放しちゃうんだ。
リンゴを見ても
リンゴと言う言葉を捨てる。
赤い、丸い、とかにしちゃう
更に、赤い、丸い、もすてて
ああ、何かあるぐらいの
認識に変えていく。
更に、食べてみても、甘いとか
酸っぱいとか、シャリシャリとか
言葉の情報を消していく。
そうすると、本当に感覚だけが
そのまま体に染み入ってくる。
結構面白い。
自分の感覚ではいつもより
美味しく感じる。
のどが痛い。
のどに刺激を感じたら、
「痛い」を捨てちゃう。
あ、なんか刺激がある。
なんだろこれ。
これだけで留める。
「痛み」だと一度認識しても、
その後「痛み」という言葉、意味を
手放す。
そうすると不思議なことに、
最初は刺激をそのまま感じて、
だんだんと、痛みが消える。
不安もなくなる。
面白いでしょ?
たまに、言葉と意味を捨ててみる。
そうすると、この世をそのままに
感じることができるよ。