怒りを感じる出来事があった

 

例えば「相手が時間を守らなかった」

 

相手が悪い、相手のためにも一言、言わねば

 

これもまた良いと思う

 

ただ、自分が怒りを感じたことには意味がある

 

それは、「自分が自分を許せていない」ということ

 

つまり、「自分が時間にルーズであることをゆるせない」

ということなのだ

 

子供の頃、きっと時間にルーズだったのだろう

 

親に、時間を守りなさいと叱られたのかもしれない

 

「時間を守れない自分は良くない」

 

そういう自己認識が生まれる

 

他者に対しても、「時間を守れない奴は悪い奴だ」

 

と反応してしまう。

 

これはなかなか生きにくい

 

時間を守らない人はうようよいるし

やむを得ず守れないケースなど星のようにある

 

だから、そんなことに反応しないほうが健全だ

 

こう考えてみる。

 

犬や猫が時間を守るだろうか?

否、自然にそんな概念はない。

 

自分は朝起き、会社に行き、仕事ができるようになった

家事育児をできるようになった。

 

本来時間を守れない、守る必要もない私たちが

しっかり時間を守って生きているじゃあないか

 

なんと尊い!!!

 

時間を守れなかった?

いいじゃあないか。

守れないと思える時点で成長している

 

自分を許せたら

自分を認めることができたら

他者にも反応しない

 

自分を認め、受容することができれば

他者を認め、受容することができる。

本当は、自他の区別はないのだ。

 

感情から、卒業できていない

事柄に気づき、遅まきに単位を取り直そう♪