私たちは

何事にも限りがある

そう考える。

 

それは一つの視点でみれば

間違いない事実かもしれない。

 

だが、このすべては有限である

という思考が、苦悩や争いを

生んでいるのも確かだ。

 

資源が有限であるから

人はその資源を奪い合う

過去から金や石油が良い例だろう。

 

チャンスが有限だからこそ

それをなんとしても

獲得しようとする。

 

王座が一つだからこそ

人はそれを争うのだ。

 

栄華はいずれ終わる

だから人はそれを恐れる。

 

貧乏であること以上に

今ある富を失うことを

人は恐れる。

 

すべて

「物事に限りがある」

がゆえのことだ。

 

だが、実はこの「有限思考」

これは、虚構に過ぎないと

言ったらどうだろう?

 

巨視的に見れば

この世の資源は尽きることなく

生まれ続ける

 

1の資源が無くなっても

2の資源が生まれる

と言う風に変化し生まれ続ける

こともある

 

機会は既に与えられ続けている

気づいていないだけだ。

本当は無限の機会を私たちは

有している。

 

王座は人の数だけある

必要な王座を作ればいい

一つの王座にこだわる必要はない。

 

栄枯盛衰は繰り返される。

高波が好きならば

高波に乗り続ければいい。

 

人の死でさえ、

終わりであると同時に

始まりだ。

 

生があるから死があり

死があるから生がある

それは永遠に繰り返される

生物の営みだ。

 

有限が悩み争いであるなら、

有限のように見えて無限な

この世界では

 

悩みや争いさえ本当は妄想

であることが分かる。

 

人はそのままに、

楽しく、救われているのだ。