自分などない

これはお釈迦様の悟り

 

でもちょっと

寂しく感じる人もいるだろう

 

自分がないなんて

寂しい人間な気がする。

 

だが、実は脳科学でも

一貫した自己は

存在しないと分かっている。

 

その一瞬一瞬で自己は

異なるのだそうだ。

 

子の前で母でいる自己

仕事にあたり会社員でいる自己

事業を担う経営者としての自己

風邪を引いた病人としての自己

ユーモアのある娯楽人としての自己

 

無数の自己が存在しているが

それはその時々に生まれる

水泡の如く、実態のないものだ。

 

自己を意識するとき、

愉悦を味わうこともあるが、

苦悩の原因は自己認識にある。

 

母として子のために懸命に

しているのに接しているのに

どうして分かってもらえないのか?

 

会社員として誠実に仕事を

しているのに、なぜあの同僚は

うまく生き、私はうまくいかないのか?

 

人の幸せのために事業を成したのに

なぜ売り上げが上がらないのか?

 

いつも健康に気を使ってきたのに

風邪をひくなんて、

何が悪かったのだろう?

 

こんなにも皆に楽しくなってほしいのに

なぜ笑ってくれない?

なにが気に入らないんだ。

 

ぜーんぶ、自己認識が織りなす

苦悩だ。

 

このことを知ると、

「自分などない」

は一転、嬉しい可能性となる。

 

自分などないのだから、

苦悩など全部、虚構なのだ。

 

一生懸命な自分

そんなものない。

だから苦しむ必要がない。

 

そして、自分がない

則ち無我の状態でいる。

これは実は幸福度の高い状態でもある。

 

自分などなく、全てとつながった存在。

そこを強く感じることができると、

多幸感に満たされた時間を生きることができる。

 

ただ、気づくだけ。

それだけで変わるのだ。