家族の中でも

仕事仲間の中でも

争いが起こるときは起こる

 

大抵、

自分があっていて相手が悪い

という戦いだ。

 

子供に対して、

片付けをしないから悪い

 

親に対して、

飴を食べさせてくれない

から悪い

 

上司に対して、

仕事を断らないのが悪い

 

部下に対して、

仕事を時間内に終わらせない

のが悪い

 

無数の『相手が悪い』を

経験することがあるよね。

 

人は相手を憎むんだよ

それが愛する相手でも。

 

いやいや、

愛する相手だからこそ

憎むといってほうがよいかな。

 

なぜなら憎しみの裏には

必ず愛があるから。

 

愛している子どもだから

こそ、その将来を憂いて

ちゃんとした子になってほしい。

 

愛している親だからこそ

自分の願いを聞いてほしい。

 

愛している上司だからこそ

僕たちを守ってほしい。

 

愛している部下だからこそ

時間通りに仕事を終えて

無理をしないでほしい。

 

根底は愛なんだよね。

 

だから、争いの原因は

何かしらの愛だ。

 

それは自己愛のこともあるし

自国愛のこともある。

 

憎しみが大きければ大きいほど

愛情も大きいということなんだ。

 

愛情が無ければ憎しみなんて

起きないよ。無関心になるだけだ。

 

だからね、根底が愛だからこそ

そこに気づけば争いは

虚構に変わるんだよね。

 

実はみんな愛を成就する

手段が間違っているんだ。

 

言うことをきかせる

これは勝ち負けでやるから

おかしい。

 

勝ち負けを決める戦いは

相手を動かす手段には

なり得ないんだよね。

 

負けたほうは

どこかで反発を起こすよ。

 

勝った方はいずれ

同じように負けるよ。

 

だからね、

相手の話を聞くんだよ。

相手のことを受け入れるんだよ。

 

そのうえで、

お互いの理想郷を描くんだ。

決裂はありえない、

どこかに両方が満足いく世界がある。

 

それを手を取り合って探すんだ。

 

それが調和というものなんだよね。