物事は主体的であると楽しい

これはなぜか?

 

反対を考えると

受動的であると楽しくない。

 

例えば、

 

サッカーをしたい!

と思って、サッカーをしに出掛ける。

やってみて楽しい。

 

鬼コーチに

「今から2時間、サッカーをしなさい。

 休みなく続けなさい」

と言われてサッカーをやる。

 

苦痛でしかない。

 

つまり、人は誰かに命令されて

やることが嫌い。

 

或いは、義務感でやるのが嫌い。

 

ねばならない、は苦痛の言葉ではある。

 

これは、子供のころからの成長過程で

◎◎しなさい!

という親の言葉が、

本人の自由なやりたいことを制限

してきたこと、

 

これも関係するのだろうと思う。

 

であれば、

主体的であればいい。

 

何事も、自分で決めて行動する。

 

例え、誰かに◎◎をせよ!

と言われても、

頭の中で変換する。

 

◎◎をしたい!やるぞ!と

 

これは楽しく生きる基礎になる。