心の揺らぎは己の偏りを根源とする。
例えば、子供が壁を蹴って何かをん
訴えている
壁を蹴るな!と怒る
ここには、壁を蹴るのはいけないことだ
という固定観念がある。
それ自体に悪いことではない。
壁を蹴れば家が壊れるかもしれない。
蹴っている方もけがをするかもしれない。
それを慮ることは美しい。
だが、それもまた
かもしれないという可能性。
いけないこと、という観念。
つまりは自身の幻想であり
思い込みなのだ。
壁を蹴るだけの活力がある。
そうしてまで訴えたい想いがある。
それもまた力強い生命力だ。
執念、偏りを捨てれば
ただ、子供が壁を蹴るという
事象に過ぎないと気づく。
そこに揺らがず、
子の猛る心にそのまま寄り添う
のもまた一興。
怒り、悲しみ、心がざわつく時、
この世は、己の偏りを知らせて
くれている。