欲、というと敵視されていることが多い。

 

無欲に生きる。

煩悩(欲)を消す

 

などなど

 

でもなんでそれなら

人には欲がついてくるのか?

何か意味があるのではないか?

 

この世の中は完全な調和で

できている。

すべては意味があって存在している。

 

中国である種の鳥が悪だとして、

駆逐をしたら、

生態系が崩れて多くの人が

飢餓で死んだ歴史もある。

 

完全なバランスで成り立っている

この世界、欲も同じく

駆逐されるような対象ではないだろう。

 

ここに一つの物の見方に気づく。

 

私たちは快を求め痛みをさける。

これは心理学でも言われている

人間の原理だ。

 

欲は、この「快を求める」にあたる。

 

人の意識の焦点化がその人の

人生の質を決める、

と前回のブログで書いた。

 

人が何に意識をフォーカスするかで

感覚、感情、生理的状態、

更には現実世界そのものさえ

変わるということだ。

 

例えば、温泉に浸かった心地よい

思い出に意識を焦点化すれば(思い出せば)

 

心地よい感覚を今ここで再体験し、

笑顔になり筋肉は弛緩し、

血圧は下がるだろう。

 

現実の物理的な自分が変化するのだ。

 

さらには、心地よい気持ちになることで

その人の発する波長も心地よい波長に

変化する。

 

そうすると、似た波長の物事が集まる

この世の法則(引き寄せの法則)に

より外的な世界さえも変化する。

 

つまり、意識をどこにフォーカスするか?

が人生の質を左右する重大な要素

ということだ。

 

「快を求める」すなわち「欲」は

この意識の焦点化をつかさどる

重大要素だ。

 

欲とはその人固有の「好きなもの」だ。

 

例えば私は食欲の権化だ(笑)

奥さんからも

「あなたから食を取ったら何が残るのか?」

と揶揄される。

 

反対に奥さんは私ほど食に興味はない。

だけど、歴史には猛烈な欲求がある。

 

歴史の話題を振るだけで

長時間の時間拘束を覚悟する必要がある。

 

つまり、自分の欲(快を求める)こそが

幸せな感情につながる意識の方向付け

なのだ。

 

私は食事のことを思い浮かべる

(意識を焦点化させる)だけで

幸せな世界に生きれる。

 

奥さんは歴史のことを意識する

だけで幸せな世界に生きれる。

 

欲を知り、それを自分の意識の

シフトポイントとして活用すれば

いつなん時も幸せでいられる

意識の向きを知れるだろう。

 

だから、好きなこと(欲)を

リスト化したり

欲を素直に感じ、正直に生きるのが

幸せの秘訣だ。

 

欲求はこれほどまでにありがたいギフトなのだ。