自分は相談を受けると、

「気のせいですよ」

と返す(或いは返したくなる)ことが多い

 

「気のせい」

というと、ただの勘違い

という印象がある。

 

辞書で「気のせい」を引くと

 

「実際にはそうでないのに、

 自分の心の状態が原因で

 そのように感じられること。」

 

という意味だそうだ。

 

「気」についても辞書で引くと

 

「心の動き、状態、働き」

 

という意味もある。

 

心の状態がそうさせる、

それが「気のせい」

なのだろう。

 

心理学や東洋哲学を学ぶと、

ほとんどのものが

「気のせい」

ということに気づく。

 

仏教や量子力学の話にまで広げると

ほとんどどころか

すべての物事が

「気のせい」

とさえ思えてくる。

 

すべては「心の働き」が

その人の世界を創り上げている

 

そんな幻想のような個人的な

世界に人は住んでいるのだ。

 

「気のせい」

 

はつまり

 

「心の働きのおかげ」

 

である。

 

身近なところで言えば、

どのような心の眼鏡をかけているか

で出来事の感じ方は変わる

 

不安を抱えた状態で

物事を見れば、

更に不安が高まるだろう

 

幽霊の正体みたら枯れ尾花

のような話だ

 

もっと尊大な話で見れば、

あらゆる発明や文明でさえ

一度、人の心の中で生まれ、

それが設計され現実に起こされた。

 

まず、心の働きから生まれているのだ。

 

自然現象でさえ、

それをどうとらえるかは、

その人の心の持ち方で決まる。

 

すべては、その人の心なのだ

 

だからこそ、

 

「気のせい」

 

言い得て妙な言葉ではないか。