絶望的な状況が訪れる

 

仕事上の修羅場

家族との不和

大病

 

「最低な状況だ」

「なんで俺が、、、」

 

そう思う。

 

その時はしょうがない部分がある。

 

ただ、いつの日かこう考えられる。

 

「ああ、あの時を乗り越えて

 今がある。いい思い出だ」

 

人生の山、谷はそれを超えたとき

大きな力になる。

 

これは事実かどうか、

科学的かどうか?

という狭いものの見方の話ではない。

 

こう思えるかどうかで

出来事の意味が変わる

 

という話だ。

 

すべてを贈り物と思えるかどうかで

あらゆるものの見方が変わる。

 

この身体も心も何か大きな存在からの

贈り物だとしたら、

大切に扱おうと思わないだろうか?

 

家族という一生の縁だって、

この人生限りの贈り物だと思ったら、

貴重なものに感じないだろうか?

 

人との出会いでさえ

80億人という人間の中の1つの

機会を引いた宝くじ以上の確率の

奇跡的な贈り物じゃないか?

 

今目の前の苦難

これこそ、人生のうま味をひと際

立たせる、スパイスのような

贈り物ではないか?

 

贈り物という言葉には

必ず感謝が含まれる。

 

感謝はそれ自体が幸せを

いただいた証となる。

 

幸せを形作るもっとも簡単な方法が

感謝であり、贈り物と捉えること

 

そう考えると、

この世はギフトだらけだ。