私たちは日常様々な刺激を受ける。
机の角に小指をぶつける。
人の言葉に傷つく。
誰かをうらやましがる。
反対に
マッサージをしてもらう。
褒めてもらう。
誇りを感じる。
全部刺激だ。
刺激はその人の人生を彩る
絵具のようなものかもしれない。
喜怒哀楽、人生で得る感情も
刺激によって決まると思うだろう。
実はそれは空想だ。
人は刺激に影響を受けない。
人が影響を受けるのは、
刺激に着けた意味だ。
足の小指をぶつけた。
その強烈な刺激に対し、
「痛い」
「なんて不幸なんだ」
「ああ、腹が立つ」
など、名前、意味をつける。
そして、私たちは
この名前、意味に影響されるのだ。
試しにどこかぶつけた時、
「痛い」も「不幸」も「怒り」も
全部どこかにほっぽって、
その刺激だけを純粋に感じてみるといい。
気づいたら刺激自体が薄らいでいる。
誰かの言葉で傷ついたとき、
意味や思考を捨て、
ただ、その言葉の音階だけを
感じてみるといい。
言葉なんてただの音だ。
何も傷つかないよ。
意味を捨てれば楽なもんだ。