愛も憎しみも相手を強く

するという点では同じ。

 

歴史の本を読んでいても

感じることだが、

相手を脅威に感じれば

それだけ相手は強大になる。

 

隣国に脅威を感じれば

その国の存在は

大きくなっていく。

 

誰かを憎めばその相手が

強くなっていく。

 

同じように、相手を愛して

いてもあいては強くなる。

 

隣国を愛し、手を組んでも

その国の存在は

大きくなっていくのだ。

 

これは、脳の中の

イメージの世界を考えると

しっくりくる。

 

誰かを愛するときも

誰かを憎むときも

頭の中にその相手が

強くイメージされるのは

変わらない。

 

イメージすればするだけ

その存在は確固たるものになる。

 

昔、日本では妖怪なる

存在が跋扈していたという。

 

民の頭の中に

妖怪なる者への恐怖があった

だから、存在として形を成した、

のではないだろうか?

 

今、それを信じる者も

怖がるものもいない。

 

愛の反対は無関心と言うが、

憎しみや恐怖の反対も無関心。

 

関心が無くなればこの世から

無くなってしまうということ。

 

嫌だな、というものは

徹底的に無関心であることが

良いだろう。

 

恐怖や憎しみで満たされれば、

恐怖や憎しみを感じる事物が

集まるだろう

 

愛や感謝で満たされれば、

愛や感謝を感じる事物が

集まるだろう

 

どちらで満たした人生を歩みたいか?

 

同じ、存在を強めるのなら

愛や感謝で描きたいものだ。