すべてを認め肯定することが

高周波な波長でいることの

秘訣であることを以前伝えた。

 

その一方、全てを疑おう

という思想もある。

 

これは、固定観念に縛られない

自由な思考を持とう

ということでもある。

 

大変大事な考え方だろう。

 

なぜなら、あらゆる問題は

固定観念から生まれる

といっても過言ではないからだ。

 

努力しないと幸せにはなれない

仕事はつらく厳しいものだ

お金を稼ぐには苦労がつきものだ

 

これは、事実の一側面に過ぎず、

決して原理原則ではない。

 

反対の事象など山ほどある。

 

しかしながら、こうした

一方的な固定観念は染みついている。

 

これを解消するには

「正しい」とされていることを

疑う必要がある。

 

疑い、反証が浮かべば

その正しさは瓦解し、

固定観念は固定ではなくなる。

 

この時、それは肯定の逆では?

 

実はそうではなく、

すべてを肯定するということは、

すべての固定観念の固定を解く

ことにつながる。

 

すべてを肯定するということは、

その観念とその反証の

両方を肯定することだ。

 

つまり、

努力しないと幸せになれない。

 

「ふむふむ、場合によってはそれも

 当てはまることがありますね。 」

 

努力なんてしなくても幸せだ。

 

「おお、もちろんそれも正しいね!」

 

と両方を肯定することだ。

全肯定なのだから。

 

つまり、反証も含めてすべてを肯定

するのだから、固定観念は生まれない。

 

それぞれのコンテキスト(背景)で

適用される観念をすべて認める

だけに他ならないからだ。

 

つまり、全てを疑って、一つの真理と

して固定させないことと一緒。

 

全肯定と全疑念は次元を変えると

同じことなのだ。

 

そもそも、全ての状況に適した

観念なんて存在しない。

必要な考え方、観念は背景によって異なる。

 

受験勉強で努力して勉強しなければ

受からないだろう。

 

だが、幸せを追い求めるうえでは、

努力よりも今ある幸せに気づく方が

近道かもしれない。

 

背景が違えば必要な観念は異なる。

すべてに適用される原理原則なんかは

ほんの一部でしかないのだ。

 

固定観念を固定させない、

人生の可能性を広げ、

楽に楽しく生きる秘訣と言えるだろう。