「幸せの青い鳥」の話はご存じでしょう。
幸せをもたらす青い鳥を探し、
ほうぼう旅をし、
実は自分の家に青い鳥はいたという話。
これと似たような話で、
私は独身時代を長く過ごしている中で
家族を持ちたいと思いました。
それで、ありがたい出会いがあり、
ありがたいことに今の妻と出会いました。
妻と一緒に住むことになり、
私の胸はこれからの生活に高鳴った
のを覚えています。
「これからは、自宅に
待ってくれている人がいるんだ!」
「一緒にご飯を食べる人がいる!」
「一緒に出掛けてくれる家族がいる!」
実際に楽しかったし、幸せを感じました。
充実していました。
その一方で、、、。
窮屈さも感じたのです。
「なんだろうこの感情」
「自由を感じない」
「なんか、身動きがとりにくいような、、、。」
それである時にハッとなりました。
「あ、これって実家にいたときの
感覚だ!!!」
そう、私は社会人になって独り暮らしを
始めるとき、
「いぇーい!これで自由!
もう家族と一緒に生活するわずらわしさ
から解放されるぞう!!!!」
と、開放感でいっぱいの感情で
出て行ったのでした(笑)
一人で生活する孤独は、
既に開放感あふれる自由の独身生活
でもありました。
家族といることのわずらわしさは
孤独から解放させる、
人と人とのぬくもりにほかなりませんでした。
実は僕たちは、
あるものねだりをしているのです。
欲は、そのことが欠乏していると
感じないとよくそのものを
感じることができない
だから、人はあるものでさえ、
ときに欠乏に変えてでもまた得ようとする。
それに気づけたとき、
実はすでに完璧な幸せの中にいる
ということに気づけるのではないでしょうか?