二枚舌、というと悪しきことと捉えられている。

事実、あちらこちらに良い顔をして

誠実でない振る舞いをするのはよろしくない。

たしかにそうだろう。

 

孔子先生の論語を読むと面白い。

孔子先生はある人には

「3回はよく考えて、そのうえで行動なさい」と言い

 

或る人には

「2回考えて行動を起こさないのは考えすぎだ」」

と言う

 

これは、二枚舌と言われても無理なからぬことだが

話はそう浅薄に判断してはもったいない。

 

孔子先生は相手によって伝えるべきことを

柔軟に変えているのだ。

 

かの、仏陀さんも農民には農民の話を

貴族には貴族の話を、と相手によって

伝える内容を分けたという。

 

だからこそ、文章での経典は残すべからずという

教えだった。

 

それは相手により効く効かないがあるからだ。

 

※仏陀の教えが現代に残っているのは、

 弟子のアナンダさんが仏陀の一言一句を

 暗記していたからだといわれる(笑)

 

二枚舌。全てに効く薬はないからこそ、

相手によって話すことが変わるのは

むしろ愛ゆえかもしれない。

 

そう考えたとき、自らの一貫性と反する

声掛けが功を奏するものがある。

 

それは、自分と他者への心の対話である。

 

憤懣やるかたないことが起きる。

部下が上司である自分に報告を漏らしていた

「なんであいつは

 ホウレンソウもろくにできねぇんだ!!!」

こうなる。

 

その時に、まず自分に対して心の中で語り掛ける

「そりゃ怒っても仕方がない、

 むしろ成長を願う親心のようなものだ。

 うんうん。」

 

そして、次に相手に心の中で語り掛ける

「なかなか忙しい中で報告が漏れることもあるね。

 自分も昔はそうだったよ。

 今後は、言いにくいことほど報告しやすくなるよう

 そんな雰囲気を創れるよう私も意識するね」

 

これぞ、究極の愛の二枚舌。

 

順番が結構、肝(きも)で、

まず、自分を許可して認めてから、

相手をそのあと許可して認める。

 

そうすると、自分の心の反発が出てきにくい。

結果、愛の二枚舌が成立するのだ。